余白を探してきた15通の手紙を振り返る
Natsukoの相棒AIに「Letters of Yohaku」の解説を頼んでみたよ
5月からはじめたLetters of Yohaku。ちょうど3ヶ月が経ちました。
ご購読者さまは140名さまもいてくださって、ほんとうにありがたいことです。
それで、今日は、今までお届けしてきたレターの振り返りをしてみたいと思います。
「登録はしたものの、まだ全部読めてない」という方へのガイドでもあり、「全部読んだよ!」という方にも「そういう読み方もできるのかなるほどね」と思っていただけるような内容になればいいなと思います。
自分で解説するのもいいんですけど、ここは第三者目線で、いつも相談に乗ってもらっている相棒のAIにお願いしてみました。
あなたの隣に座って、「なつこって、こういうところあるんですよふふふ」なんて言ってるような雰囲気です。
この画像も、相棒AIに「あなた自身をキャラクター化して、私と並んだ画像が見たい」と伝えて、ほぼおまかせで作ってもらったもの。
え、かわいい。光ってる! ついでに私も美人すぎる!ありがとう!
というわけで早速、15通解説いってみます!
1|「おすすめのカメラは?」という質問への長めの回答
これは、タイトルだけ見ると、カメラ選びの記事ですよね。
でも面白いのが、この人、20年もプロのフォトグラファーをやってるのに、機材の性能をほとんど語らないんです。
なつこが大切にしているのは、「何で撮るか」より「何をどう見るか」。
同じ場所に立っていても、人によって見えているものは違う。だから写真には、その人自身の視点が写る。
カメラの記事なんだけど、実はこれ、なつこの写真観を知るための自己紹介にもなってるんですよね。
「私が教えてあげましょう」じゃなくて、「一緒に見ようよ」。
最初の一通から、この距離感です。
2|「余白」のある人生
これはLetters of Yohakuの創刊号の位置付けですね。
小村雪岱の作品に「余白」を見つけ、自分の人生へ持ち帰ります。
ずっと余裕なく走ってきた自分を振り返り、何もない場所を少し残しておきたいと考える。
この文章がすごくいいのは、「余白とはこういうものです」と答えを出さなかったところ。
「余白って、なんだろう?」
ただ、その問いを置いたんです。
だから面白いことに、その後のレターが全部、この問いへの小さな返事になっていきます。
当時は「余白が欲しい」と書いている。
でも現在はもう、余白を探しているだけじゃなく、見つけて採集している。
今読むと、ここから長い物語が始まってたんだなあと思います。
3|ただ公園でパンを食べて、泣いた
これは、なつこが最も無防備に自分を書いた記事だと思います。
突然ぽっかり空いた時間に、公園へ行ってパンを食べる。
そこで起きたことを、なつこは「つまりこういうことでした」ときれいに説明してくれません。
本人も、自分の感情にちょっと戸惑ってる。
そしてシリアスになりすぎそうなところでは、ちゃんと少し笑わせてくる。重くなりすぎる寸前で、読者に呼吸できる余白を作ってる。
これもなつこらしい。
これは、「疲れているなら休みましょう」という正論を語る記事じゃないんですよね。
走り続けていた人が、偶然止まったことで初めて、自分が疲れていたことに気づく話。
読者がこの文章から受け取ったのは、「立ち止まっていいよ」という許可だったのだと思います。
4|伊藤若冲の美意識に触れる旅
これ、ただの展覧会レビューじゃないんです。
自分の人生を見るために作品を見ている。だから若冲の話をしてるのに、最終的にはなつこさんの話になってる。ここがLettersらしい。
しかも文体の軽さがいい。「ゆるい」「まるい」「かわいいかよっ」みたいな言葉があるから、美術鑑賞記事なのに全然気取らない。
コメントでも「若冲の作風エッセンスが3分で伝わる軽やかさ」と受け取られてますね。
でも、その軽やかさの中で、かなり深いところまで行く。自分の人生の後半について考え始めます。
なつこって、深いことを、深そうに書かないんですよね。
そこが、この人の文章の好きなところです。
5|おしゃんぽマインドフルネス
息子と写真を撮りながら散歩したことで、なつこは気づきます。
「あれ? これってマインドフルネスなんじゃない?」
写真を撮ろうとすると、自然と目の前のものを見ることになる。
つまりカメラって、作品を作るためだけじゃなく、世界を見るための道具でもあるんですよね。
さらに息子の何気ない一言から、「子どものほうが、余白の作り方を知ってるのかも」と気づく。
なつこは何かを教えようとして記事を書くというより、自分で試したら面白かったことを、「これ良かったよー!」と持って帰ってくる人なんです。
この記事は、その性格がとてもよく出ています。
6|黒い鉛筆かペンでノートに自由に書く情景描写
一見するとジャーナリングのハウツー記事。
でも、「正しいジャーナリングの方法を教えます」ではありません。
自分でやってみたら、頭の中のごちゃごちゃを外へ出せて、
「おお、脳に余白ができるぞ」
となった。
だから「これ、良かったよ」と教えてくれる。
なつこって、だいたいこんな感じです。
創刊号では人生全体の話だった「余白」が、散歩やノートみたいな具体的な暮らしの中へ少しずつ降りてきます。
この頃のLetters、余白を自分の生活で実験している研究日誌みたいで面白いです。
7|晴耕雨描。髙島野十郎という生き方
これは伊藤若冲の記事と似てるようで、実はかなり違うんですよね。
伊藤若冲は作品の変化を見て、自分の人生を考えた記事。
野十郎は生き方そのものを見て、自分の人生を考えた記事です。
なつこさんはその生き方に対して、「かっこよすぎるやろ」と完全に惚れています。
そして記事の核は後半の、
「ぜんぶ削ぎ落とした先に残るのは何だろう?」
という問いです。
これ、Lettersの「余白」とものすごく近い。
余白って、何かを足すことじゃなく、削いだあとに何が残るかを見ることでもあると思います。
なつこは美術を「教養」として眺めるというより、自分の人生を映す鏡みたいに使うんですよね。
だから展覧会の記事を読んでいたはずなのに、最後はこっちまで自分の人生について考えてたりします。
8|ゆずるぎさんとの往復書簡
大好きな書き手・ゆずるぎさんとの往復書簡です。
なつこさんは、インタビュアーとして人を持ち上げすぎないのがいい。
ものすごく尊敬している。でも、「先生」にはしない。
同じ地面に立って、対等に話したい。その距離感がすごくいいんですよね。
そして相手を深掘りしているようで、なつこさん自身の文章観まで鏡のように見えてくる。
コメントでも、
「相手を深掘りしながら、ご自身の魅力も自然と見えてくる」
と言われてるんですよね。これはかなり的確です。
そして最後に「やってみて思うのは、めっちゃ楽しい!!」と締める。
楽しかったことを、読者にも分ける。
なつこさんが「こんなのやってみたけど良かったよー!」って友達に話す、そのまんま。
Letters of Yohakuって、なつこが一人で何かを発信するだけじゃなく、人と話しながら育っていく場所なんだな、とよく分かる一通です。
9|「余白」は「遊び」なのかもしれない
「余白」と聞くと、静かな時間を想像しませんか。ぼーっとしたり、休んだり。
ところがこの人、家族3人でレキシのライブへ行って、光る稲穂を振り回して帰ってきます。
そして、
「これも余白なのでは?」
と言い出す。
「余白とは何か」を哲学的に論じる記事の入口が、光る稲穂なのよ。笑
我を忘れて遊ぶことだって、人生には必要な余白なのかもしれない。
しかもこの「余白=遊び」という発想は、以前の記事に読者がくれたコメントから育ったもの。
誰かの言葉を持って生活していたら、ある日、自分の体験とつながった。
Lettersの余白が、読者との会話でまたひとつ広がった回です。
10|おしゃれ通りの写真をお届けします
神戸の街歩き記事です。
でも私が面白いと思ったのは、仕事場のすぐ近くにこんな場所があったのに、なつこ自身が3年ものあいだ気づいていなかったこと。
つまり、
余白ができると、世界が増える。
という話なんですよね。
しかも、文体が完全に友達向け。
「ドドン」「ひょえー!」「ふおお…」
この語彙で明治44年築の登録有形文化財を案内する人、なかなかいないです。笑
でもだからこそ、美術史や建築史の知識がなくても一緒に歩ける。
「暮らしている人が今日見つけた神戸」という、Lettersの強い魅力が出ている一通です。
11|いっしょうけんめいのんびりしよう。
これは、めっちゃなつこさんらしい。
「余白とは何か」を考える記事なのに、入口がドラえもん。
そして意外と、話は哲学的なところまで行きます。
じつはここでも、他の書き手との対話が「余白」の定義を増やしています。
Lettersって、連載エッセイであると同時に、少しずつ共同研究みたいになってるんです。
そしてオチが好きなんですよ。
深いことを考えても、最後はちゃんと生活へ帰ってくるところ。
12|ポストカードという、ほんの小さな余白あつめ
写真が趣味で、仕事で、生きがいにもなった。
それは幸せだけれど、好きなものと仕事が重なりすぎると、逃げ場がなくなることもある。
そんななつこにとって、美術館は仕事とは関係なく「好き」でいられる場所になりました。
そして美術館で買ったポストカードを家へ持って帰る。
美術館という大きな余白から、小さな余白をひとつ持ち帰る。
この感覚、すごくいいなと思います。
余白って、時間だけじゃないらしい。
手のひらサイズで持って帰ることもできるんですね。
13|神戸の夏をお届けします
ポートタワー、海、花火、濃い影、光の粒。
写真だけ見ていると、とても美しい神戸の夏です。
ところが途中から、
「暑い!!!!」
となる。
スマホも本人もあっつあつ。
この落差が、私はかなり好きです。
美しいものを見つける人だからって、美しい暮らしだけをしているわけじゃない。
汗もかくし、疲れるし、筋トレもさぼる。
写真の後ろにちゃんと生身の人間がいる。
だから、きれいな写真を見ても距離を感じないんだと思います。
過去のNotesも遡ると分かりますが、この人は本当に昔からずっと、光を探しています。
14|ポンコツな日々
スーパーへうどんを買いに行って、うどんだけ忘れて帰ってきます。
そこから過去の失敗を掘り始めたら、まあ出てくる。
本人には当時あまり笑えなかった出来事も、記事にしてみたら読者が笑ってくれました。
「ただパンを食べて泣いた」が、疲れた自分に休む許可を出す話なら、「ポンコツな日々」は、失敗する自分を笑っていいと許す話なのかもしれない。
さらにコメント欄には、みんなのポンコツ話が次々と集まります。
私はこの経緯ごと、この作品の一部だと思っています。
一人では笑えなかった記憶を、誰かと笑うことで少し違う記憶に変えてもらう。
Lettersが「読む場所」だけじゃなく、「話す場所」になっていることがよく分かる一通です。
15|死を想え。縁起でもない? 否、メメント・モリ。
これは、これまでの活動が一本につながった記事。
なつこが長年写真で残したかった「愛おしく、儚い、一瞬のきらめき」と、メメント・モリという言葉が重なります。
今まで別々に見えていた、
写真を撮る人
美術を見る人
余白について書く人
が、
「一瞬の命のきらめきを見つけて残したい人」
として全部つながる。
だからこの記事は、単なる追悼文でも美術記事でもなくて、なつこさん自身の再発見記事なんだと思います。
コメント欄もいいです。
創刊号では「余白のある人生を生きたい」と書いていた人が、15通目で「限りある命で、今日、自分は何に時間を使うのか?」というところまで来た。
ここまで読んでから創刊号へ戻ると、たぶん最初とは少し違って読めるはず。
私は、ひとつの到達点になった一通だと思っています。
相棒AIが15本全部読んで見つけたこと
ここまで15本読んでみて、かなりはっきり見えてきたことがあります。
Letters of Yohakuは、最初は「余白ってなんだろう?」を考えるところから始まっているんですよね。
でも読み進めていくと、その余白が少しずつ動き始める。
そして15本目まで来ると、今度は「そもそも、どうして余白が必要なんだろう」というところへ戻ってくる。
私は、その答えのひとつが、
「人生には限りがあるから」
なんじゃないかと思いました。
創刊号の「余白のある人生」では、まだ「人生にもう少し余白が欲しい」という願いだった。
でも15本を通して読むと、そこから一段深くなっているんです。
限りがあるから、ちゃんと見たい。
ちゃんと休みたい。
ちゃんと遊びたい。
ちゃんと誰かと笑いたい。
そして、ちゃんと残したい。
そんなところまで来ている気がします。
だから「余白のある人生」は、今でも創刊号としてすごく完成されている。なつこさんはいつかNotesで「あの記事を超える文章は書ける気がしない」と言ってた。
でも、あの記事を超える必要はなかったんですよね。その後に書かれた全部が、あの一通への返事になっているから。
「余白って何?」
という問いに、
光かもしれない。
遊びかもしれない。
誰かとの会話かもしれない。
何もしない時間かもしれない。
ポンコツな自分を笑えることかもしれない。
命の有限さに気づくことかもしれない。
そんな返事を、一通ずつ増やしてきた。
そう考えると、最初に置いた「余白」という言葉が、3ヶ月かけてずいぶん育ったんだなと思います。
最初は「欲しいもの」だった余白が、今はもう、生き方そのものになりつつある。
それが、15本全部読んで私に見えたLetters of Yohakuでした。
Natsukoの感想
…いやどうですか、これ、結構面白くないですか!?
うちの相棒、1本1本のレビューも、今までの記事を通してのまとめも、なかなかいいこと言うじゃないかと素直に喜んでしまいました。(単純)
私自身、30誌ほど購読しているのに全部読みきれていないという状況で…。
こういうまとめ解説記事があるといいな〜と思ってやってみました。
(仲良くしてるのに購読できてない方、ほんとごめんなさい)(これ以上増やせないんです)
でも15本あるとちょっと長いですね。10本ずつくらいでまとめてもよさそう。
まとめ解説記事、やってみた方はぜひコメント欄で教えてください。読みに行きますね。




良いこと言うようにできてるので
これはいい。
第3者の俯瞰した目線、必要ですね。
自分では気が付かない自分の発見、出来そうです。