伊藤若冲の美意識に触れる旅
The Power of Letting Go, as Seen in the Work of Ito Jakuchu.
5月のはじめ、新緑が眩しい季節に京都へ行ってきました。
今回の目当ては、福田美術館(京都市右京区)で開催中の伊藤若冲展。
(2026年7月5日まで開催中です!ただし展示替えに要注意⚠️)
公式サイト↓
https://fukuda-art-museum.jp/exhibition/202512264487
伊藤若冲(Ito Jakuchu)
えーと、ニワトリの絵でよく知られている、日本の画家、かな…?
名前は聞いたことあるけど…と、前知識ほぼゼロ状態です。いざ。
まずはこちら、若冲最初期(30代前半)の作品です。
いや、ちょっと、うますぎるやろ。
細部の描き込み、画面の構成、色づかい。
最初期にこんな作品残すって、どういうこと。
とりわけ謎なのは、解説を読んでも略年表を見ても、「誰々に師事」とか、「〇〇に影響を受けて」という文言が見当たらないこと。
もしかして、これ独学なんかな…??
略年表をいくら見ても、
20代で父を亡くし、家業を継いだ。40歳で弟に家督を譲って隠居した。そこから絵描きに没頭した。
っていうことしか、読み取れませんでした。
日本絵画史の中でどういう立ち位置だったのかが気になるのですが、いまいちよくわかりません。
(ご存じの方がいらっしゃったら教えてください)
突然変異の天才、なのかな…。
そして「伊藤若冲といえば」、こんな鮮やかで細やかな鶏の絵なんですよね。
驚異的な描き込み。
そういえば幼い頃、私の実家では鶏を飼っていたんです。
毛並みとかトサカとか脚の質感が、まざまざと思い出されました。
持ち上げた時の重みまで。
それくらいリアル。
かと思えば、こんな簡略化したゆるーい絵も。
ゆるい。
まるい。
かわいいかよっ!!
布袋さん…どうなってるん。お餅かな??
そして晩年。80歳くらいの作品がこちらです。
ああ、余白の美。
「引き算の美学」を感じずにはいられない。
細部まで描き込む表現から、シンプルの極みへ。
何だか人生に重ねて見てしまいます。
いったん極限まで描いてから、削ぎ落とす。
描けないんじゃなくて、描かない。
ところで伊藤若冲についてWikipediaで調べてみたら、
「若冲」という雅号は
『老子』45章の「大盈若沖(沖は「虚しい、空っぽ」の意、冲は沖の俗字)」から採られた。意味は「大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる」である。
なんですって。
大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる。
深い。
逆を言えば、空っぽを意識すれば、大いに充実するんだろうか…?
いや、充実しているからこそ、手放して空っぽになることができるのだろうか…
さて、私はこれから人生の後半戦です。
余白探しの旅に出てみましょうか。
※本文中の写真はすべて撮影OKのものです
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若冲の「描けるのに描かない」という見方が、とても印象に残りました。
若い頃の細密さと、晩年の余白。
技術の変化というより、人生の荷物の置き方が変わっていく感じがありますね。
布袋さんを「お餅かな??」と見るところも含めて、この鑑賞記の温度が好きです。
晩年期の作品が、削ぎ落としているのに、精密さも、ゆるいも、丸いも、かわいいも入っているのが、凄い!
伊藤若冲の作風エッセンスが3分で伝わってくる文章の軽やかさも素敵です。